その存在を、当たり前のように思っているもの

1年以上前に、Facebookのノート機能を使って書いた文章をブログに転載します。当時は、コンテンツがストックされにくいというFacebookの特徴をよく理解しておらず、時々、このような長文をFacebookに書いていました。今週、取材旅行で飛行機に乗ったこともあってこの文章を思い出し、今、読みなおしてみても内容に問題なかったので転載します。北朝鮮が核実験を強行したこの日、Webサイト制作とは何の関係もありませんが、私の考え方を表す文章として、お読みいただければ幸いです。


 

インフラを支える人を見るのは嬉しい

久しぶりの飛行機の旅は楽しかった。子どもの頃から機械好きなので、燃料タンクや整備車両などが沢山ある空港は、わくわくする。制服姿で立ち働いている人たちもカッコいい。気のせいか、みな誇らしげな表情を浮かべているように見える。

空港で働く人たち。カッコいい。

こうした光景を見ると、日本はインフラがとても整った国だという思いを新たにする。雨の日も風の日も、少々体調が悪い日も、きちんきちんと真面目に仕事をし続けてくれる人たちが大勢いるおかげで、この日本という国はまわっているのだ。とてもありがたいことだと思う。けど、インフラを支える人たちは、普段ほめられることは少ない。逆に、トラブルがあった時にはものすごい勢いで非難されることさえあり、気の毒だ。24時間365日、その存在に気が付かないぐらいに切れ目なく安定的に運用されるのが日本では当り前とされているのだか、考えてみれば、5分とズレることなく電車や飛行機が運行されているのはスゴイことじゃないか?

「彼ら」は地表のすぐ上を飛んでいった

離陸した直後に、窓から見える風景が好きだ。まだシートベルトを外せない、ほんの数十秒間だけ見える景色のこと。普段の目線からホンの少しだけ視点を上げたところから見える景色は、日常を新たな視点でみることができて、とても面白い。これが巡航高度にまで上がってしまうと、非日常の風景となってしまう。それはそれで美しいのだが、ちょっと視点をずらすぐらいのところが気に入っている

これは、もう巡航高度。離陸直後はデジカメが使えないので写真がないのです。

眼下に見える几帳面につくられた家々。まるで2階の窓越しに、家族の日常が見えるようだ。そこで気がつく。福島第一原発から放出された放射性物質は、この高さで日本中に広がったのだと。汚染地図によれば、放射性物質は地形の変化をなめるようにして広がっているのがわかる。つまり、かなり低い高度を飛んでいったのだ。

放射性物質には、目はもちろん心も無いが、もしあったとしたら、おそらく今の自分と同じような風景を見たはずだ。どんなことを思って、彼らは日本の空を飛んだのだろう。彼らには、たぶん悪意はない。自分の存在が、ただそれだけで生き物に害を与えるのだということを知らないに違いない。それまで、ずっと真っ暗な圧力容器の水の中で何十年も過ごしてきた彼らは、たぶん目を輝かせて、この日本の景色の美しさ、そこで営まれている人々の暮らしのいとおしさに、感動して空を飛んでいたのではないだろうか。大熊町から、平泉へ、那須高原へ、千葉へ、静岡へ、そして軽井沢への旅は、さぞや楽しかったに違いない。仲間には、遠く九州の先までいったもの、海を泳ぎ、太平洋沖まで行ったものもいるだろう。自分の存在が、気の遠くなるほどの期間、環境を汚染し続けることも知らずに。

群馬大の早川教授による汚染ルート地図

国が世界地図から消える日

今回の福島第一原発事故では、日本はかろうじて全滅を免れた。けど次が起きれば、世界地図に空白の国が生まれてしまう可能性がある。土地は残る。けど、そこに住むのは老人たちばかりで、十何年かすると、人がいなくなる。使われなくなった飛行場、もはや電車が走ることのない線路、車の往来が途絶えた道路が、無人の土地を縦横に這う。そうした風景も、自然環境に恵まれたこの土地では、やがて緑に覆いつくされるだろう。その時、野を飛ぶたんぽぽの綿毛に、放射性物質が含まれているかどうかは、わからない。

几帳面な性格の日本人は、果たして勝手の違う海外に移住して生きていけるだろうか? アメリカや中国から土地を借り、そこに第二日本国をつくるのだろうか? そんな未来が来て欲しくないと、飛行機の窓から外を眺めながら思った。