2018年6月初旬、井上書院から、『伝統木造建築事典』(小林一元・宮越喜彦と共著)を出版版しました。この国に長く続いてきた木造建築に関わる言葉を、図解や写真や表を使い見てわかるようにまとめた事典です。林業・製材 仮設 基礎 墨掛け・刻み 架構 屋根 左官 造作・仕上げ 建具 外構 茶室 歴史的建築物 現場・職人用語の各項目を、540ページ・オールカラーに仕立てました。鹿皮和紙に漆黒型押し文字の表紙は、表紙専門デザイナーが改心の作という様に、中身に馴染んだ美しい装丁です。いただいた印税の少なささえ我慢すれば、費やした時間と思いに十分こたえた本の重みを感じて満足しています。
この事典づくりに要した6年の間、北海道から沖縄まで方々に出かけて建築や林産地の写真を撮り、各地で働く職人さんに話しを聞いてきました。民家や社寺や城郭など歴史的建造物の写真を撮るために、京都・奈良・滋賀など関西地方だけでも50か所以上訪ねて回ったので、改めてこの国の木造文化の深さを再認識する日々でした。もし、次に出かける場合は、自分で作ったこの事典を携帯して見に行くつもりです。屋根・壁・建具・飾り金物・和釘など、知って見るのと、ボーと眺めるのでは経験の深さに違いがでます。部位や材料の名前を、その場で事典を開いて覚えるだけで、ぐっと身近な存在になるものです。柱梁の組み建て方、屋根の葺き方、壁の塗り方、漆の塗り方まで図解で示しておきました。目の前の建物の裏側を想像してみて下さい。見えない部分にこと、知恵が隠れているものです。旅の友として、ぜひ持ち歩いて使ってください。
素材と技と表現で建物はできていますが、素材を知ることの一番の方法は、素材生産の現場まで出かけてみることです。カタログやネットでは伝わらない、肌触りや重みや香りを理解することができますね。近くの山の木で作ることを始めたいと考えている方々、この本に林業の項でまとめた「木の欠点」や「乾燥法」や「製材法」のページを事前に読んでから、地元の製材所に出かけみたらどうでしょう。ホワイトウッドの集成材使い、プレカット工場に墨掛け刻みをまかせている設計者も、多少の専門知識があるだけで、製材所から一目置かれ、途端に丁寧な対応を受けるはずです。先人が手間をかけて育て上げた日本の木を、愛おしく感じる時がきっときます。
大工の技とは、木の特性を生かして使うことです。木目を見てそれぞれの材木の癖を判断する能力は、特別のものではなく木材という素材の性質を経験的に学んだ結果備わったものです。設計者も、工務店まかせにしないで、一歩踏み込むことを続ければ、理屈で大工職と対等に話ができるようになります。立派な棟梁は、本当は設計者と一緒に考えながら、一軒ずつ仕上げていきたいと考えているはずです。上から目線で管理するのではなく、同じ目線で話した方が現場も和みます。ただ、そのためには、言葉を覚え、言葉を使う経験と場数が必要です。木材の欠点を知っていることと同じで、木の組み方を知っていることは大事です。 「金輪継ぎ」という言葉から、話が一気に深まることもあるのです。
木造建築は、材木・架構技術・基礎・屋根・壁・建具・塗装が、みんな関係して一つになって完成するので、関連している項目をぱらぱらとめくって眺めるだけでも、現場を知ることに繋がります。ぜひ本書を机に置いて時々開いてください。
2015年6月5日、畳表の取材の為に、大分県国東半島で七島藺草の生産を続ける松原さんを訪ねました。普段使用してきた「琉球表」ですが、材料を作っているのは日本中で大分県の4人だけという現実は衝撃でした。本畳1枚に使う「七草藺」の数は2200~2400本必要で、畳表の織作業は一日2枚が限度とのこと。年間200日は、稲と七草藺の田圃作業で、100日間織る作業でできるのは200枚のみです。八畳間に換算すれば、25軒分しかつくれません。日本建築の間取りから住まい方まで大きく影響してきた畳文化そのものが、どんなに不安定に状況に直面しているのかを理解できました。普段お付き合いしている、加藤畳店の加藤明さんに現在進行中の「東京の土壁の家」でも、ぜひ松原さんの琉球表を使えるように依頼しておいてほしいと伝えたところ、松原さんから快く了解しいただいたことは、嬉しいものです。住み手には大事にしてほしいものです。
畳表は一例です。林業・瓦・漆喰・粘土・石・和紙など、素材を日々取り扱っている業者の方々は、みなさんが訪ねてくることを待っていると思います。
『伝統木造建築事典』に盛り込まれた、日本の文化全般に関係する用語の一つ一つに触れる時、言葉の魅力のとりこにされる経験を、幾度となくしてきました。
「杣」「元玉」「黒木」「目回り」「葉枯らし」「尺杖」「峠」「竪水」「車知」「引き独鈷」「めかす釘」「貝折釘」「茨鰭」「懸魚」「雀口」「駒額」「枌板」「芝棟」「雲母粉」「花深」「刀刃」「海鼠」「覆輪」「唐紙」「琵琶床」「狆潜り」「立浪」「灰汁洗い」「油煙」「弁柄」「猿」「版築土塀」「大和塀」「ひんぷん」「桂垣」「垣内」「久根」「筧」「本勝手」「腰張り」「鱗板」・・・
今日では専門分野の人達の間で語られる以外、日本語として一般的に使われることがまれになった言葉に触れる時、以前呼んだ言語の関する本を思い出します。
以下引用
「理科の実験室で生み出された人工言語は、セルロイドやシャツのカフスのように長もちする。決して色あせないが、匂いも色もない。 言語の魅力をつくるのは言語の人間的側面である。これまですべての世代が、言語によって自分たちの生きしるしを残してきた。言語は、何千年にわたってわれわれの親しい思い出が積み重ねられた財宝なのだ。 その反対に人工言語は記憶をもたず、空間にも時間にも根付いていない。そこには、地方の訛りもないし、多彩な方言もない。 言語の絶滅は決して「自然」な過程ではない。それは、政治的・経済的・社会権力をたずさえた大言語が少数言語を抑制することで、はじめてひきおこされるのだ。」
『絶滅していく言語を救うために ことばの死とその再生』
クロード・アジェージュ著 糟谷啓介訳 2004年 白水社
日々かかわりのある建築の世界を想像してみて下さい。
集成材・石膏ボード・合板・筋交い・コロニアル・スタイロフォーム・アンカーボルト・塩化ビニール・ポリカーボネード・樹脂サッシ・複合床板・ビニクロス・人工大理石・LED・エアコン・・・・
おそらく、大量生産・大量消費の文明が生み出した建材だけで、家一軒まとめることが普通だと、気が付くはずです。多くの建築関係者にとって、『伝統木造建築事典』にまめられている言葉を使うことは無いかもしれません。
この事典をまとめた目的は、大量生産・大量消費の文明がはっきりと行き詰まりを見せている現在、転換する方向性を見つける羅針盤の役割を、失われつつある言葉が持っているはずと考えたからです。
言葉は新たに生まれ、死んでいく運命にあります。また、一度は死んだ言葉を、よみがえらせることもできます。それは、「時代の文化をどのように形づくって行きたいのか」という判断によるとも言えます。この事典には、我々が忘れかけた言葉がたくさん盛り込まれ、図解や写真で想像しやすく、近づきやすく、思い出して使ってほしいという思いで、構成されています。
読めなくても、想像できなくても、確かに生き続けた言葉・文化がそこにあるのです。今、この時代に生きて、過去と未来を繋ぐ為に働こうと考えるみなさん、原石と呼べる日本の言葉の数々に触れてみてください。そして、ありたい自分を想像してみてください。きっと、一歩を踏み出す勇気が生まれるはずです。
2018年6月5日 著者 高橋昌巳