top
  2002 Hiroshima Flame Walk

2002年、「広島原爆の火」ピースウォーク in U.S.Aでは、世界各地の人々が集まって、戦争と破壊を終結させるための希望の祈りを携えて歩きます。人々が対立して戦い合うのではなく、全ての命と共に調和の中で生きることができるよう願い、歩きます。

■ アメリカでの"広島の灯WALK"
■ スケジュール 2002.1.15 - 5.12
  ■ 2002 Hiroshima Flame Walk in U.S - ENGLISH -
■ Walk schedule 2002.1.15 - 5.12
- ENGLISH -

デイリーレポート(現在作成中、一部写真のみ掲載。黄色の日付のみ閲覧可能です)
01/ 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
02/ 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
03/ 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
04/ 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
05/ 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
 
   

0126

今日はTenino First Presbyterian Churchよりという町にあるBethlehem Farm(catholic)その約18.5マイルを歩かせて頂きました。昨日から降り続いた雪の積もる中、朝7:00に出発、牧場、湿地等が続く田舎道を歩く。御来先も拝むことができ、ほぼノンストップで昼の休憩場所ヤントローリアに到着、すぐに地元の人々からの歓迎を受け街の歴史を聞いたり、地元の大学が植えたという平和の木を訪ねたり、地域の出身の平和活動家達の記念碑を見学したりする。ちなみに平和の木の発想の源は、ニューヨークシックスネ−ションの全ての武器を捨てて木を植えるという、先住民の考えが広まったものだそうだ。

昼食はセントラリア・ファーストメソジスト教会にていただく。ここで一時ウォークを離れ、再び戻ってきたウォーカと合流。この中の一人にユダヤ合気道を教えている人がおり、『あなた達の今している行動は合気道の教えそのものだ。非暴力で決して敵を作らず宇宙の中を美しく歩いている』と言われた。全く同感だった。その後雪の中を再び歩き、宿泊場所でもあるBethlehem Farmへ到着した頃には少し暗くなり始めていた。この教会は日本に原爆を投下したB-29ユノラゲイに祝福をしたというザベルカ神父と関係の深いイエズス会の神父が創建したという。彼らは原爆投下後の現地の悲惨さを後々耳にし、状況を憂い懺悔の意を込めてシアトルからイスラエル迄のロングピースウォークを行ったそうだ。月日が廻り、僕達のピースウォークがヒロシマの火と共にこの場の宿を借りる事となった。どういう因果か不思議なものだ。

夕食後は、ヒロシマの火を囲みセレモニーをする。ファームの人々は火とウォークに大変興味を持っておられ、安田法尼・トムダストゥ氏らの話に熱心に耳を傾けておられた。

宿泊先である Bethleham Farm にてセレモニーを行う

今日も無事に一人のケガ人もなく歩けたことに感謝します。又、雪の中のウォークで冷えきった体を休める場を提供してくださった方々、そして温かい食事に色々とお世話してくださるサポーターの皆様、仲間達、いつも見守ってくださる方々。全てのつながる者達に感謝します。

All my relations

Shingo