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  2002 Hiroshima Flame Walk

2002年、「広島原爆の火」ピースウォーク in U.S.Aでは、世界各地の人々が集まって、戦争と破壊を終結させるための希望の祈りを携えて歩きます。人々が対立して戦い合うのではなく、全ての命と共に調和の中で生きることができるよう願い、歩きます。

■ アメリカでの"広島の灯WALK"
■ スケジュール 2002.1.15 - 5.12
  ■ 2002 Hiroshima Flame Walk in U.S - ENGLISH -
■ Walk schedule 2002.1.15 - 5.12
- ENGLISH -

デイリーレポート(現在作成中、一部写真のみ掲載。黄色の日付のみ閲覧可能です)
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0205

Salem → Monmoyth W.O.U. Gentle House 宿泊

昨夜の宿泊先は、YMCA om Salem。5 時ごろ起床、5 時半お勤め、朝食。7 時 40 分頃、出発。Salem は大きな街だったが、すぐに田舎道に入る。ワシントンで別れたアナが戻ってくる。アンディーナが行ってしまう。でもニューメキシコで合流して、ニューヨークまで行くと言っていた。デイビッドのフリースクールの女の子デュリューとコニーも戻ってきたいと言っているそうだ。

朝から 2 度の休憩をはさみ、昼までに 12 マイル近く歩く。昼食はワイナリーの Eola Hills でランチを、一人づつパックしたのを用意してくれていた。昨日からブルーベリー畑、ヘーゼルナッツ畑、リンゴ畑が延々と続く道だった。ブドウ畑とワインづくりも盛んなのだろう。

ウエストオレゴン大学のジェントルハウスというところが今日の宿。夕食はオーガニックショップのオーナーが、海苔や椎茸、味噌、醤油、米などを持ってきてくれ、味噌汁や野菜炒めなどを作った。その後、大学の人が歓迎会のようなものをウォーカーのためにしてくれる。和太鼓の演奏を学生がしてくれた。みんな楽しんだ。私達もピースウォークの紹介。トムが話をした。

ニューヨークまで歩く人、黄、黒、白、赤の人たちが全部いる。年齢もさまざま。ふと我にかえると、すごいファミリーだ。(Kako)