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  2002 Hiroshima Flame Walk

2002年、「広島原爆の火」ピースウォーク in U.S.Aでは、世界各地の人々が集まって、戦争と破壊を終結させるための希望の祈りを携えて歩きます。人々が対立して戦い合うのではなく、全ての命と共に調和の中で生きることができるよう願い、歩きます。

■ アメリカでの"広島の灯WALK"
■ スケジュール 2002.1.15 - 5.12
  ■ 2002 Hiroshima Flame Walk in U.S - ENGLISH -
■ Walk schedule 2002.1.15 - 5.12
- ENGLISH -

デイリーレポート(現在作成中、一部写真のみ掲載。黄色の日付のみ閲覧可能です)
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今日は Walk ではなく、ドライブでLongviewからYakimaNationのりザベイション Toppenish までの約210kmを移動。朝のお勤め、朝食、そうじの後サークルをくみこの場所とサポートの方々への感謝と今日の無事を祈る。そして出発。5台の車にそれぞれ分乗してそれぞれのスピードで進む。到着は一番早い車が1時頃につき遅い車はその30分後だった。

着いた時間も早く、天気も良好だったため2〜3時間街を歩きリザベイションの中ということもあり車に乗っている人も街を歩いている人もNativeの顔だちの方が多くみられた。反応はすごくよくて、手を振るとほとんどの人が返してくれたしわざわざ家の外に出てくる方も少なくなかった。

ロングハウスに戻り、彼らが迎えのセレモニーをもってくれる。すごく広い場所で中央は長方形にクロスに土が平らにもってあった。こちらも日本山式のあいさつを返す。そして彼らの話。ぼくはほとんど聞こえなかったため…
一つだけはっきり心をつきぬけたのは、彼らの口から「ヒロシマ」という言葉が出た時だった。

彼らもまた基地から出された液体放射性廃棄物による被爆の被害者で、その基地が作られたのも彼らの土地である。そして、今実際その基地で劣化ウラン弾がつくられ、アフガニスタンへの攻撃に使用されていることだ。
夕食時、彼らは準備と片付けのときに歌を歌う。歌ってない人たちも手を動かし体を動かしている。そうやって感謝を表しているのだろうか…
食事中にはかわるがわる祈りの言葉や祈りの歌が聞こえ、食後には2人の女の子の踊りが披露された。
すごく平和な時間だった。ありがとうございます。

ネイティブ式の食事風景。始めは食事はウォーカーが各自で取りに行く予定だったが変更され、ドラム & 歌を披露されながらyakima の方々が全部用意してくださった。最大級のもてなしをうける。   Yakama Nation のエルダーの集合写真

  Yakama Nation の方々との集合写真  

*こんなにすごくうれしいことはない。ありがたいことない。
人種をこえて、あたたかく受け入れてもらえること、人種という言葉すら意識しないこと

はじめて日本を出て、はじめてアメリカに来て本当に毎日色々なことがおこるけど

今日もまたすごく楽しかった。皆が無事であれたし、本当にありがとうございます。

今日も皆、よい夢がみられますように… ! !

Seiya(聖夜)