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東京から広島へ。1日20-25キロの行程を歩いているWALKの「巡礼日誌」です。
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日本橋→川崎 22km ビジネスホテル泊&分宿  
 
いよいよウォークが始まりました。朝、日本橋には50名程の人が集まり、朝10時頃、橋のたもとにある小さな公園にて、まずバウさんからの分燈を受けました。カイロの種火からキャンドルを使って灯油ランプへと分燈。合わせてカイロへも。続いてアイヌの浦川さん(昨日分訂正/お姉さんと弟さんでした)による火の神へのカムイノミ、トムさんのお祈りとホピ族の教えを引用されたメッセージ。そのあとトムさんから全員にタバコを回し、各人がひとつまみづつ頂き、祈りを捧げる。11時頃、ハル・あきお・シンゴがインディアン・ソングを歌う中を、ウォークは奈良教授、トムさん達を先頭に、「道の起点」と書いてある道標前を出発。ランプはウォーカーの荷物を運ぶサポート・カー(ワゴン車1台)に載せ、カイロは僕が首から下げて(途中から奈良さんに渡しました)運びました。

「平和の火・こころ」を持って、全国を歩いているバウさんこと、山田和尚さん   祈りの集会「ひろしま2001」の中心的存在の一人、高信寺のご住職

まずは銀座・新橋を抜け、白金台にある佛所護念会という、法華経の新興宗教団体のお寺に立ち寄り、休憩。30年前のバングラデシュ独立の際、1000万人の難民への救援活動を奈良さんが行ったとき、お世話になったご縁があるのでとのことでした。続いて五反田にある、奈良さんが教えている清泉女子大学に2時半頃到着。学長に出迎えてもらい、遅い昼食を学生食堂で頂きました。何名かの差し入れもあり、浦川さんも鹿肉を漬け込んだものを持って来て下さった。清泉では来春から「地球市民学科」を開設し、奈良さんや学長自らが教えるそうです。僕は4日間の断食を開始したため、おあずけ。アメリカから来たスパニッシュのヒーザさんが、お返しに校庭でファイヤーダンスのパフォーマンスを行いました。

この昼食の時に、「ひろしま2001」の現場制作を行っているステージユニオンの後藤さん(芝居等の舞台制作が主業務)と初めてお会いでき、このウォークの構造がようやく見えました。「ひろしま2001」は、プロのステージユニオンが、全てのプログラムに関する制作を請け負っています。当初予定していたウォーク参加者は、通 しで歩くトムさん達一行6名と、サポートカーの2名(イベント経験がほとんどない若者)、そこに週末だけ参加の奈良さんと、通 訳のスティーブさんが加わっての、計10名。宿泊は後藤さんの友人の広島のJTBの方に、全員が格安で泊まれるところを、全行程分確保してくれるよう、無理に頼んでいます。JTBは全国にかなり細かくネットワークを持っています。後藤さんは出来る限り宿泊費を抑えるために、「これだけしか金はないんだけど、なんとか頼むよ」と、会社で立て替えて既にJTBに、グロスで宿泊料金を支払っています。今後、宿泊体制が整ったとしても、JTBを大幅にキャンセルすると、キャンセル料の問題以上に、JTBの友人との関係は壊れてしまうとのことでした。後藤さんは、「自分は普段からパフォーマーが表現したいことを一番に優先させて仕事を進めていて、今回も全く予定が立たない遅れ遅れの進行ではあるけれど、根気強く、奈良さん達が進めておられる想いを何とか実現させるために動いている。ですから浜岡にルートを変更することになっても、ウォークのその想いを優先させ、その日のJTBの宿泊先をキャンセルすることは構わない。しかし、そんなことがたくさん続くようになれば困ってしまう…。」というようなことを言っておられました。

前日の電話で、急遽駆けつけてくれたアイヌの浦川さん   湯川さんから御神酒をうけるトムさん

今日までのオーガナイズ手法は「Long walk for BMT」や「いのちのまつり2000」の時のウォークとは違いますが、関わっている全員が、自分の出来るやり方で目一杯頑張ってきた、ということを知りました。お金がかかるやり方になっていますが、その中でも何とか出費を抑えるよう頑張っているようです。僕たちウォーク経験者は、今回のウォークがより実りあるものになることを願い、自分達のやり方を押しつける事なく、サポートに徹してゆきたいと思っています。 今日は初日という事もあり、人数も多く、奈良さん達グループには年輩の方がかなり多いため、ゆっくり歩くウォークとなりました。サクリファイス(身を捧げる)なウォークとは異なり、ほがらかでゆったりとしたエルダー・ウォーク(?)でした。清泉女子大からは、ハルも都合で自宅に帰り、歩く人も20名程に減り、品川を抜け、15号線を通 って川崎に向かいました。途中、道に迷ったりもしました。8人乗りのワゴン車は、既に荷物が満載で、今後食材等が加わったり人が乗ろうとした場合、スペースがあまり無い状態です。宿に先に荷物を置いたとしても、全員が一度に乗って移動することができません。ゆえに宿まで歩くしかなく、今日の所は何とかなっていますが、ルートの下見や荷物や人の搬送などの車と、伴走車の、2台体制がやはり望ましいです。

バウさんからの「平和の火・こころ」の分灯式   分灯を受けたランプが、WALK隊に手渡される

歩きながら、シンヤが一緒にいのちのまつりのウォークに参加していた飯野さんと連絡を取り合ってくれ、15日の平塚、16日の小田原での、僕とシンゴと永井とさくらちゃんの宿泊先が確保できました。歩きながら決まってゆく、どんどんつながってゆく、そして喜びがやってくる。ウォークらしいオン・ザ・ロードな流れも始まりました。飯野さん、本当にありがとう!

羽田空港への分かれ道では、広島から参加された被爆者3名(オタフクソースの会長・副会長の佐々木さん兄弟、平和公園の真向かえにある祈りの殿堂の佐藤上人)が帰られました。彼らが参加され、共に火を運ぶために歩かれた意味は大きいです。憎しみや恐れは、愛の力で変わることができる。平和を、調和をもたらすことができる。20世紀までのブラックマジックは、21世紀に向けてホワイトマジックに変えることができる。そう思っています。55年前、彼ら被爆者達が必死の思いで消した火を、またその火を広島につけようというのです。20万人もの人達が焼かれた憎しみの火が、その憎しみを乗り越えても人は平和を祈ることができるんだ、という事のシンボルの火として、21世紀の未来の世代へそのことを受け継ぐために、広島に帰って行くのだと思います。被爆者も(もちろん全員ではないにせよ)それを望んで下さったからこそ、実現に至ったのだと思います。その火を12/11の、鎮魂供養の灯ろう流しに使うということは、火は亡くなられた方々の御霊の依り代ともなるでしょう。とてつもない祈りです…。

出発前のトムさんからのメッセージ   そして、祈り

多摩川を越えたのは7時過ぎ、川崎の街にはすぐ着きました。最終地点まで歩き続けた人は16名。約22km。サバイバル・ウォークに慣れているトムさん達は、宿泊がホテル(ビジネスホテル・サンロイヤル)だったことに驚いていました。夕食は、飯野さんが連絡して下さった、高津に住んでおられる高野さんからの差し入れを、車で自宅まで取りに行き、お弁当屋さんで各自が好きな弁当を買って加えて、狭いシングルルームにみんなで集まって食べました。心温まる美味しい差し入れに、全員すごく喜んで、力つけられていました。やっぱり食べ物は、いのちは、買うもんじゃないと思います。

10/17の小田原でのレスト・デイに、裾野でスウェットロッジ・セレモニーを行う事ができそうです。そのことを伝えたら、トムさん以下全員、大きな歓声を上げて喜んでいました。みんな祈るために、遠く日本までやって来たんです。

僕とシンゴ、さくらちゃんは、友人の棟朝が車でホテルまで迎えに来てくれて、彼の家に泊めてもらいました。(あきお)

   
  次の世代、そのまた次の世代のために、WALKは歩き始めました  
 
    翌日 >
   
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