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東京から広島へ。1日20-25キロの行程を歩いているWALKの「巡礼日誌」です。
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平塚→小田原 古清水旅館  
  早朝、島田市在住の大池真由美さんからお電話をいただき、10/20富士〜10/29二川までの受け入れ窓口になっていただけることになった。全く白紙だった静岡県での受け入れ体制だったが、何とか明るいきざしが見えてきた。昨夜、カズさんとボブさんからまず一報入れていただいていた「人間家族」のおおつきさんと、鈴木てつやさんに電話を入れた。おおつきさんからは、次号「人間家族」でウォークが始まったことを紹介していただけることになり、藤枝市在住のませさんを紹介していただいた。浜ネット(浜岡原発を考える会静岡ネットワーク)の事務局長の方である。また鈴木てつやさん(東海地震を考える市民ネットワーク)には、10/23東京の議員会館で行われる国会議員への連続学習会「浜岡原発と東海地震」開催準備で多忙な中、10/25浜岡原発での受け入れを引き受けていただけることになり、ベタで動けないからと、大池さんを紹介いただいた。友人のワニくんも協力してくれることになったが、なんと大池さんの家の近所だという。なんだか急にポンポンと人がつながり出した。

朝、教会の西田牧師婦人も参加されてサークルをつくる。サークルの中央には、ランプの炎。まず西田さんに感謝の意を伝え、今日のルートについての説明をし、その後ちょっとしたシェアリング・タイム。セラが「自分は家でお父さんから競争することを教えられて育ったが、このウォークでは皆優しく親切で、助け合い調和することを学び、自分が少しずつ変わってきている」と、涙を流して話してくれた。トムさんが祈りの言葉を捧げた後、BMTウォークでは毎日歌い続けたインディアン・ソング「ウォーク・イン・ビューティ」を歌う中、出発した。 ウォークが開始して三日目が終わり、何とか今回のウォークの形が出来つつある。ウォーカーは、当初「ひろしま2001」で想定していたメンバー9名+僕・永井・シンゴ・さくら・飯野・三枝子の、計15名。しばらくはこのコア・メンバーで行きそうだ。火のケアはシンゴが行い、毎朝4つのカイロにベンジンを補充している。ウォーカーの中で、その日の希望者が身につけて歩くようにしている。首から下げていると、丁度ハートの辺りで暖かさを感じる。ランプの炎を見つめ、カイロの熱に触れながら歩いている。出たり入ったりではあるが、永井はロードマネージャー役でこの行進を安全に導き、気回しの良いさくらちゃんは各種連絡フォロー役。僕は移動事務局で、携帯電話がひっきりなしにかかってくる。そろそろ電磁波で頭が痛くなってきた。電子レンジに頭を突っ込んでいるようなものか。ヘッドセットは必需品だが、買っている暇がない。

今日もしばらく海沿いを歩いた後、再び排気ガスにまみれながら歩き続けた。東京よりは幾分マシではあるが、やっぱりツライ。最後尾との差が広がったので、ちょっと待とうと意見が出たが、トムが「パイプの歩みを止めてはいけない。パイプを追い越してもいけない。我々は聖なるパイプの先導のもとに行進しているんだ。そして平和の火を運んでいる。ピクニックをしているわけじゃない。足が痛くて歩けなかったら、無理に歩かなくていいから、サポートカーに乗ろう。奈良先生とも話し合ったように、みんなが交代でサポートカーに乗ったって構わない。」と、静かに一喝した。皆の気が締まった。小田原市内に入ってからは、ハンドドラムを叩き、インディアン・ソングを歌いながら行進した。今回は日本山のお太鼓はまだ登場していないし、インディアンソング一色というわけでもない。歌も、皆が思い思いに、好きな歌を口ずさみながら歩いている。宿泊場所の古清水旅館前に着いたのは、暗くなってから。サークルをつくって今日のウォークを閉じた。旅館は、旅篭風情でとてもいい感じだった。思わず僕も泊まりたくなってしまった。コンクリートに囲まれた狭いビジネスホテルとは違って、人の温もりがいい。おやじさんから、昔は小田原宿までは日本橋からは2日の距離だったと聞いて、ちょっと驚いた。

食事は金太郎の里、南足柄の島田圭介さん宅に、全員でお呼ばれにあずかった。大きく広がる里山の風情。家の前には、稲刈り後の自然農田と畑。横にはみかんと柿の木。温暖で豊かで美しい環境だ。ただし、すぐ近くにあるゴミ焼却施設の煙だけはいただけない。なんで山の中に造るんだろう。日の出の森もそうだったが、街の中のゴミは街の中で処理すべきで、他の場所に持ち込むべきじゃないのに…。翻訳業の合間に自然農をやっておられて、近所の自然農仲間たちも手伝って、自分達で育てた、とても美味しい野菜料理をたっぷり振る舞って下さった。圭介さんは、以前パナマからワシントンDCまでの平和行進に参加されたウォークの超ベテランで、今回は「いのちのまつり2000」MLで情報を知り、サポートを申し出て下さった。僕は初対面だったが、ハルや永井とは旧知の縁である。今回は、トムさんといい、パトリシアといい、インターネットでの参加者が多い。新しい時代の流れだ。僕にとってはこの夕食が4日間の断食明けで、ウォークが始まって以来、初めての食事となった。それが自然農の野菜や米たちだったことが、ホントに嬉しかった。そして自分の田畑のことがとても心配になってしまった。何とかサポート体制が軌道に乗り始めたら、稲刈りに戻らなくては。黒米なんて全部脱硫してしまうしね。やっと街中を離れ、念願の田園風景に触れることができ、昔ながらの日本家屋の家庭で、地元の人達からの心からのもてなしを受け、しかも自然農の自然食。アンドリューはベジタリアンで、パトリシアはパーマカルチャーリスト、ジョンソン夫婦は山で自給生活というトムさん達一行は、すっかり上機嫌。すっかり満たされて、心にも余裕が出来たのだろう。食後は三枝子さんが切り出して、ようやく初めて、今回のウォークについて、そして火についてのかなりディープな話が交わされた。詳しい内容は、メモしてくれていたさくらちゃんが後日MLに流してくれることになっているが、これはまるで密教の世界です。トムさんはこのウォークはスピリットの世界とも大きく関係することで、答えは明日のスウェットロッジでスピリットが応えてくれる、と締めた。帰る前に全員で、田圃で平和の火のランプを囲んで、手をつないでサークルをつくり、祈った。下弦の月が、こうこうと夜の大地を照らしていた。トムは自分の部族に残る、月と兎の言い伝えを聞かせてくれた。満月のスタートだったが、欠けて行くのは早い。この月が次に満ちた時は京都。その次に満ちた時が、いよいよ広島である。 (あきお)
 
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