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東京から広島へ。1日20-25キロの行程を歩いているWALKの「巡礼日誌」です。
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小田原→箱根山頂  
  数日前から合流している(妻の)三枝子をのぞき、親子3人で出発。前の晩、(長男の)素也は学校の登校坂でとったキノコでキノコ汁をつくった。それとリンゴやパンをつみこみ、朝早く出発。昼前に箱根着。小田原から歩いてまたウォーク衆と初めて出会う。先回りしていた永井さんが、大木のある絶好の昼食場所を発見。そこでお昼の支度。素也の特別コンブとキノコ、やさいのお汁。のらやのパン、高遠・池上さんちのリンゴなど。同じく高遠から中原さんの野草、コメ、イモなどの食材もサポートカーへ。木の根元に広島の灯を置き、みんなの輪の中に木をむかえ入れる。トムさんはとりわけ子供たちの参加をよろこび、子供たちから出るエネルギーがウォークの力となると言う。午後、やっと一家全員で歩くことができた。我が家へ帰りたさに通行証(パスポート)なしで通ろうとし、関所破りで処刑されたお玉さんの名をとり、お玉ヶ池という美しい池に着く。永の母親と同じ名前であることから、母の残した「祈る灯を 隣村まで まんじゅしゃげ」という、まるでこのウォークのためのような句を再び思い出し、英語に訳してもらい、兄のつけた曲で歌うと、みんなで歌ってくれ、歌いながらウォークはつづく。忘れがたい場所と時間。夕方はむらさきに暮れなずむ富士と、それを映し出す芦ノ湖にみとれ、ウォークは予定していた箱根峠までたどりつかなかった。

夜、泊まった旅館の部屋まで、平塚の飯野さんがごはんやおかず、チゲ(韓国の鍋物)等はこびこみ、すばらしい夕食となる。しかし、永、(長女の)実杜は夜遅く高遠に帰るため、ウォークとお別れ。8歳の素也は明朝から歩くことに。4歳の実杜に泣かれるかと思いきや、意外とけろっとし、歌ったり、夏のあずみのウォークの思いでをしゃべったりしている。「ボブちゃん、だんじきちているとき、ちゃーみー(実杜)とけんかちてたんだよね」「かーちゃんのあちにマメができたとき、かんごふちゃんみたいになおちてくれたんだよね、あれだれだっけ?」など。細かいことをよく覚えているもんだ。(塩田永)



10月18日、広島2001のウォークは、約17キロの行程を小田原市内から箱根の芦ノ湖湖畔まで歩きました。ぼくも参加して、朝のサークルで、広島の火「こころ」を分灯していただきました。今うちの祭壇にあかあかと灯っています。部屋のなかでの祈りの場所が、また特別なものになりました。 食事のオファーも、いろいろなつながりができてきて、うまくいっています。また、あすからの宿泊も、次々と決まってきて、行進の流れを感じます。19日には、ぼくは車でサポートに回り、ランチタイムから、夜の「山猫どんぶり亭」の交流会まで御一緒するつもりです。平塚の飯野さんも共に行きます。彼女は食事班としてこれからもできる限り協力して下さると聞きました。 中米の10ヶ月の巡礼以来、滞っていた巡礼の血が急速に流れ出すのを感じました。ぼくもこれから先、ところどころで、通訳や食事のサポート、また中米での経験から何か役立つことで協力していくつもりです。 箱根のトップ、芦ノ湖の湖畔の夕暮れは壮絶に美しいものでした。しかし寒さもまた身にしみます。カイロに灯した広島の火が、今日はひときわ温かいものに感じられました。(島田啓介)

   
  小田原の宿を出発  

朝、島田啓介さんから申し出があり、小田原の宿の前でのモーニングサークルの時、トムさんの手から啓介さんへ、このウォーク中初めての分燈が行われた。今日は箱根の山越え。啓介さんは道案内も兼ねて、今日は一日一緒に歩いてくれることになった。かつてのパナマからのロングウォーカーの虫が、どうやらウズウズしてきたようだ。啓介さん宅には、僕らが泊まる前日まで、ベンガルの吟遊詩人バウル一行が泊まっていて、今日また彼らが戻ってくるらしい。インディアンのウォークはノー・ドラッグ、ノー・アルコールが厳しく戒められており、聖なる植物ガンジャも御法度である。グルジイ達とは、図らずも、丁度無理なく入れ替わりとなった。

   
  次の箱根越えするWALK  

今日から奈良さんの講演聞いて広島から来た篠原さんが、新たにウォークに参加した。そして昼食のサポートで、三枝子さんのご主人ひさしさんが、子供2人を連れて来てくれた。だが彼は、今晩とんぼ帰りするという。今日、大鹿村ではスウェットロッジが行われており、明日より内田ボブさんとセイヤが歩き始めるので、そのサポートに向かうためである。BMTウォークで共に歩いた、長野県高遠町のかつみさんと弥生ちゃんも、どうやらサポートに回るようだ。この天竜川を下るブランチ・ウォークとは、24日浜岡で合流する予定である。そして野良屋もいよいよ一家総出。素也君も小学校の先生に理解してもらい、学校を休ませたという。冬に、夏に、そしてまた今回と、年中ウォークしているからパン焼きする暇もなく、ますます”幻の野良屋のパン”である。やっぱり彼らはウォークには欠かせない存在。いてくれるだけで、とっても心強い。とはいえ、一体全体、生活はどうするんだろう? このまま年越しするつもりなのか? かくいう僕も同じか。永井もフリーランスの服飾デザイナーだとはいえ、週の半分はウォークしているので、クライアントへの週一回の提出にもぼちぼち支障が出てきたようだし、さくらちゃんは「旦那に捨てられちゃうかも」と笑いながら言っているし、ボブさんもお正月まで長崎まで歩き続ける覚悟で明日出発するようだし、みんな日常生活をなげうってこのウォークに参加している。みんな生計よりもウォークという、つき動かされていると言えば格好は良いが、やっぱり相当の変わり者なようだ。

    食後の祈り

午後からはいよいよ湯本茶屋を通り過ぎ、峠道に入った。登り坂が続いたが、車も減り、木々に覆われた山の中の道なため、歩いていても心地良い。結局、日暮れまで、芦ノ湖まで歩いた。携帯電話をすっごく使っているので、バッテリーが夕方までもたないし、電磁波で頭も痛い! まぁ、しょうがないか…。今のところ、通して歩いているコア・メンバーは13名程。サポートカー運転手を入れて15〜6名のウォーク隊である。今日のトムさん達の宿泊は、箱根湯本のホテル南風荘。4人部屋が3部屋おさえてあり、ミーティングや連絡が深夜まで続き、結局、僕たちもそのまま部屋に潜り込む形で泊まってしまった。永井、キヨシ、啓介さん、そして野良屋のひさしさんとみとちゃんは帰った。夕食はまたもや飯野さんが、自宅でつくってきた料理を、こっそりホテルの部屋に差し入れしてくれた。彼女の登場は、この出だしの大変な時期を乗り切る源になっている。おかげで何とか箱根越え出来そうである。明日は彼女も歩きたいと言っているし、ぜひそうしてもらいたい。「いのちのまつり2000」では「虹の村」の助役で大活躍だった長野県原村の龍さん、レイラさんから、地域通貨をやっている友人の別荘を借りれるとの申し出があったものの、松田町で遠かったため、結局はお断りした。龍さんからは、ちょうどお米が切れそうだった時に、新米を20kg送って下さるというありがたい申し出もあった。レイラさんからは、富士川に住んでいる同級生の小林良枝さんを紹介してもらい、急遽20日の富士、21日の清水での面倒を見ていただけることになった。やったぁ! 明後日のことで、しかもホテルという保険を切る初日だっただけに、これは本当に嬉しい。いつもいつも、心強い縁の下の力持ちぶり。本当にありがとうございます。

   
  芦ノ湖と富士  

仲間たちとの御縁が、ギリギリのところで助けてくれている。静岡に入れば受け入れて下さる人達も出てきているので、きっと一安心できるだろう。寝袋とマットも不足分を明日啓介さんが買ってきてくれることになり、屋根さえ確保すれば寝られるので、あとはキッチン班を編成して食材と鍋釜を確保して自炊体制を整えてゆきたい。本当に綱渡り、いや、綱すら見えなかったが、このまま乗り切れそうな気がしてきた。このつながるご縁に、皆さんからの思いやりに、心から感謝しています。(あきお)
 
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