朝、阿智神社で、分灯式がありました。分灯にひきつづき、女の神主さんが榊をトムさんたちに授け、トムさんたちが祭壇にそれを捧げます。終わったあとの神主さんの話。
「神道では、自然のすべてに神の御霊が宿るといいます。山にも、木にも、空気にも。」「人にとって大事なのは、自然の神に、自分本来の使命を教わり、本来の姿に戻るために生きることです。」
神社っていうと、どこか、天皇制とか国家神道、というイメージがあるけれど、神主さんの話は、すーっと心に入ってくるようで、聞きながら目にする鎮守の森の風景が、いっそう、鮮明に思えました。
平和への祈り、自然からもらったいのちや他のすべてのいのちを、大切にできること、本来の姿、母なる大地、調和、・・・いろいろなことが宗教とか以前に、つながってきそうな感じがしました。一方で、焼けこげになってまで子供を抱きかかえて亡くなった被曝お母さんの絵が頭をよぎり・・・。平和は、ぜったい、必要。
(ヨハナ)
実は、これを書いている今はレストディのもうみんなが寝静まった午後11:30。 今日のこのステキな一日のことは次の人に任せて、記憶の糸をたぐってみましょう。
阿智神社。この日の始まりは早朝6:30からの分燈式。この式の祭主は女性でした。 なんともいえないクリアーな空気。そしてやさしい流れ。なんだか今日はおだやかな
ウォークになりそう。御神酒(おみき?)をいただいて、私はお酒が元々一滴も飲めない ので、かなり上機げん。ノンアルコールだけど神様から頂いたお酒だし、なんだか
みんな朝から楽しげなので、いい感じ。などと想いながらいざ!出発。昨日の時点では 個人的(?)な意見として、みんなのWALKに対する想いが本当にこのままでいいのか?
などと少しネガティブな穴にはまってみたりしていたので、少し不安になっていたけれど、 気合いも充分。バイブレーションもバッチリ。きっと大丈夫だ。
私はきのうから足に「豆」ができていて、けっこう辛いWALKになるかと思っていたんだけれど出だしから前半は、 河原の原っぱでした。お天気も良く、朝つゆに光る雑草の美しさに見とれ、感謝の中を
歩きました。そんな幸せもつかの間、母なる大地がコンクリートに包まれだした頃、私の 足はじくじくと痛みだし、頭の中は足のことで精一杯。このままじゃいけない。祈りだ。
祈り。と想い出した時、アキーニのインディアンソングがきこえてきた。その瞬間、目の前を 歩いている人達が何百年もの昔、土地を追われてひたすら歩き続けるネィティブピープル
に見えた。川原に広がるすすき畑、背高あわだちそうの群れ。ゆったりと横に広がる なだらかな山々。ゾロゾロ歩き続ける人達。みんなみんな祈りに満ちあふれている。みんな
唄っている。足の痛みが教えてくれた。全てを整えてくれているグレイトスピリットに大感謝。 辛いコトも楽しいコトも、全ては自分次第でガイダンスとなり、そして祈りへとつらなってゆく。
足の痛みも調和されてゆく。アスファルトとでさえも。
それにしても約半日、ひたすら歩いている。 生きているんだから当たり前なんだけれど、やはり波はある。つかれてくると意識も散まんに
なってくる。でもそんな時、空を見上げると、鳥たちが群れをつくって私たちのコトを迎えて くれていたりする。雲のすき間からお陽様の光が柱の様に大地に向かって注がれている。
辛いことはたくさんたくさん、痛い位にいろいろあるけど、心の目を開けることを忘れなければ、 それらは全てクリアーできるはず。そんなただ忘れているだけの「本当はみんな知っているコト」
を想いださせてくれたWALKでした。
|
|
|
|
吉備大神宮出発 |
|
すべてのものには「正しい時」と「場所」があり、 そのコトを理解するためには、人はそれを 生きなければならない。(ローリングサンダーの言葉。)
生きて 活かそう!
ホッカヘイ!
原田 雅代