前のことになるけど、赤穂の普門寺で千手観音と出会ったことを有り難く思います。自分の持てる手は二つだけと解ったから。自分の出来ることも二つの手分だけ。だからせめて自分の出来る分だけ精一杯捧げたいと思った。
そして自分がやれない分、足りない分があるからこそ、人の手の働きを有り難くいただけるのかな。それは自分にとって快適な事もあれば、そうでないこともあるだろう。
捧げることは、ただ捧げることだと思う。
ウォークで言えば、ウォークの歩く速さが、速い遅いというものがあるけれど、私たちの思いが祈りがウォークという形になっているのなら、全て捧げるのであれば、歩く人は歩くことに捧げ、足の痛み、辛さに、サポートカーに乗る人は歩き続ける人に祈りを捧げ、歩き続ける人はサポートカーに乗る人に祈りを捧げ、キッチンをやる人はキッチンに捧げ、見守る人は見守ることに捧げ、そして全ての人が祈りの中、喜びの中、今を感じて行動し、みんながバランス良いハーモニーを感じられれば、そのことが千手観音が私たちに伝えていることかも知れない。
アースフラッグを持たせてもらって一番後ろを歩かせてもらった。キリリと締まる先頭のレインボーフラッグ、パイプ、鷲の羽根のフラッグ、そしてロバートさん。健脚の人も、そうでない人も、足を痛めている人も、一人一人が踏み出す一歩一歩が、とても美しく感じる一日でした。
トンカシラ ワカンタンカ
一人一人がグレイトスピリットから授かった聖なる委託の意味を理解し、一人一人が捧げ、共に喜びの内に生かされますように。
ホォー、ミタクエオヤシン
歩きながら浮かんできた言葉です。
(のらや 塩田三枝子)