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12/31 20世紀最後の祈り
1/1 21世紀夜明けの祈り
東京から広島へ。1日20-25キロの行程を歩いているWALKの「巡礼日誌」です。
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曇り レスト・デイ 裾野でスウェット
明日以降の宿泊と食事が全く未定なので、サポート依頼のメールを島田啓介さんのi-macを借りて、朝一番でまず流した。一応、テントを2張り三枝子さんの旦那のひさしさんが明日持って来てくれることになっており、僕も一式持って来ているので、大きな心配はしていない。トムさん達の宿泊も考えなくていいし、気が楽である。とはいうものの、20日の富士からは、まだホテルを予約していなかったことが分かったため、今後は僕たちのルートで探し、全員が一緒に寝袋で泊まる方向で固まっている。トムさん達もそれを望んでいる。静岡のネットワークが徐々に出来つつあるので、何とかなるとは思っている。
何ら確信できるものはないが、今やれることをやり続ければ、真っ直ぐに歩き続けていれば、きっとサポートが飛び込んでくるだろうし、余計な心配いらない、間違いない思っている。イベント制作の常識で考えると、先行きが何も決まっていない中でこのように進めていること自体、無謀としか考えられないだろう。「ひろしま2001」が、トムさん達のホテルと食事代を用意していたからこそ、ここまで安心して歩いて来れたのだが、これはあくまで緊急措置でしかない。予算の問題以上に、今のまま大名ウォークしているようでは、地元からのサポートや想いを得ることなど出来ないだろうし、ウォークを通じて人がつながり合うこと、ウォークを共に歩くことは、まず期待できない。
不安、恐れからの回避。これを基盤に、現代の社会システムはつくられている。金融、食糧、エネルギー、国防…。全てがそこを元にして回っており、不安を煽られるまま、人々は反作用で欲望を増大させ、過剰生産・過剰消費・過剰エントロピーの、もう引き返せない道を歩んでいる。ホピ民族の故トーマス・バニヤッカさんが開示した預言の石版に出ている、先のない道である。世界中を包み込んでいるアメリカン・システムと言ってもいいかもしれない。しかし、昔は人はもっと大切にしたものを持っていたはずである。調和を重んじ、お互いを助け合い、思いやる、友愛の精神である。そこを基盤に村がつくられ、町も出来ていたはずである。例えば、人も自然界の一部として生き、食べ物は自然からの恵みとして、いただけるだけの”命”を皆が”分け合っていた”はずである。この単純な営みが、いつだって食べたい”モノ”を、飢えることなく自分だけ腹一杯食べたいという、毎日ハレの食生活に変わってしまった。おかげで薬だらけのエサで、現代人はブクブクのブロイラーのような体型へと自らの肉体を改造している。例えば、先物取引をはじめ、お金がお金を生み、実体経済から遊離し、さらに電子マネーで数字だけになってゆく金融システムは、やっぱりおかしい。コミュニティの中で商品や仕事、そして何よりも思いやりをスムーズに循環させることを目的とする地域通貨への期待は、そこにある。不安や恐れから、ブラックマジックは始まる。スターウォーズでも、フォースの暗黒面へと導かれたじゃないか。
図らずも今回のピースウォークは、この不安や恐れの上に立って、お金で解決させる20世紀型オーガナイズ・スタイルからスタートした。そして今、そこから抜けだし、友愛と希望を支えに歩いている。21世紀まで、長崎まで歩くこの歩みは、21世紀型の共生のコミュニティへとつながっていくと確信している。既存のシステムやパターン化した思考回路に縛られないで、まずは歩き始めよう。昔やっていたやり方を、ちょっと手間はかかるけど、今風にアレンジして取り戻す。このことにエレガントな生き方を見出せるし、これがオルタナティブのキイワードだと思っている。
朝、まず我々は小田原の宿にトムさん達を迎えに行き、アンドリューを除いたウォーカー全員で、スウェット・ロッジのある裾野市に向かった。宿には啓介さんと偶然待ち合わせだった、自然素材の服飾デザイナーのきらきらが現れ、急遽フロントバナーを製作してくれることになった。また昨晩MLを見て連絡を下さった女性が、宿まで食材の差し入れに来て下さり、サポートカー1台では乗り切れないので、スウェットまで車で送ってもらった。今回のウォークのような急な展開では、即応力があるメールは大活躍である。僕が3年前に新宿でヒーリング&ワークショップ・スペース「SWO」の企画を行っていたときの社長・加藤博子さんの裾野市の自宅の庭で、スウェットロッジ・セレモニーは行われた。ここでは定期的にスウェットが開かれており、リードは共にサウスダコタ州ローズバッドでサンダンスを踊っていた斉藤和典が行っている。彼は今回、都合があって不参加であった。
加藤さん、楢崎さん、みきちゃんと、懐かしい顔ぶれとの久しぶりの再開。全員で自己紹介の後、トムさんがお話しをし、すぐにスウェットの準備に取り掛かった。東京からはビッグマウンテン・サンダンスのファイアーマンのキヨシが、ファイアーマンをしに駆けつけてくれた。男性は薪割りをし、女性は布や糸を切って、お祈りのためのタバコタイズをつくる準備を整える。そして、ピースフレームから火を取り出し、ファイヤーピットに点火。石は富士山の溶岩石、数は56個。石を真っ赤に焼いている間に、全員が小さなてるてる坊主が連なった形状のタバコタイズを作った。このタバコタイズも平原の部族に共通する祈りの形で、スピリットはこの中に入っているタバコに込められた祈りを読み取るのである。遠くからは、時折ズドーン!と自衛隊の大砲射撃の音が響く。霊峰富士山に、大砲の弾が毎日打ち込まれているのだ。
スウェットに入ったのは、夕暮れ近くとなった。スウェットは、丁度先日大きく建て直したばかりで、13名全員が余裕を持って一度に入ることが出来た。トムさんのアニシナベの国ワバナキ民族でもスウェットは古くから行われており、彼らは「スピリット・ロッジ」と呼んでいる。僕らが慣れ親しんでいるラコタの国のスウェットとも、やり方に大きな違いはなかった。トムさんは、伝統に則り丁寧にスウェットを行なわれた。あっという間に時間は過ぎ、3時間も入っていた。スピリットにサポートをもらいながら、素晴らしい浄化と祈りの時間を持ち、ウォークを先導してきたピースパイプを回し吸うことが出来た。中で祈られた内容については詳しく記述できないが、このウォークを行っている意味、日本人とインディアンの役割などについても、トムさんの口を通じて語られた。このスウェット以来、まだ一つになり切れていなかったウォーカーの心が、ようやく一つになったと思う。お互いの思いを、各自の祈りの言葉を通じて共有し、確認し合えた。散漫だったウォークに向かうみんなの気持ちが引き締まって、フォロー・ザ・ファイアー、フォロー・ザ・パイプに向かった。そして祈りが深くなった。そう感じれた。まさに、然るべきタイミングで訪れたスウェットだった。またトムさんは、日本で本格的なスウェットを行えたことにとても感謝してくれた。僕らサンダンスでインディアン・ウェイを学んできた者達に対して、大きくリスペクト(敬意)をしてくれた。 10/28のレストデイに、三浦半島にある天外伺郎さん宅でトムさんが行なうスウェットに、ぜひ僕らに一緒に来て欲しいと言ってくれた。スウェットを出た後は、スイカに始まり、待望の夕食は、野菜と魚の天ぷら、鳥と野菜2種類のスープ等、ご馳走ずくしで、加藤さん、楢崎さんには、皆、本当に感謝でした。そして何よりも、今の僕たちにとっては、今日のスウェットは何にも代えがたいものでした。本当にありがとうございました。宿泊は昨日と同じ古清水旅館。僕たち、永井、シンゴ、三枝子、さくら、キヨシは、啓介さん宅に戻りました。
(あきお)
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