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東京から広島へ。1日20-25キロの行程を歩いているWALKの「巡礼日誌」です。
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相良→浜岡原発→大東町風車 相良老人いこいの家泊  
  早朝、太平洋に赤く熟した柿の実のような朝日がのぼる。浜辺に集まり輪になり、トムさんのお祈りのあと出発。浜岡にむけて浜辺をたどる。今日は40人ぐらいいるだろうか。大鹿組のたった二人のウォークを見た目にはびっくりするくらいの大集団。小さな子供たちも多い。途中から(家族)3人そろっておんぶになったことも。浜岡に近づくにつれ小雨となるが、みんなインディアンソングを歌いながら歩みは、まったくしっかりしている。いよいよ原発の入り口。係官が歌やタイコはやめて欲しいということで、みんな静かに原子力館というところの軒下へ。ここでお昼。

   
  相良いこいの家。広島の火を囲んで、モーニングセレモニー。  

地元の保育園の子供たちが見学にきている。係りの人にちょっときいてみる。「たとえば100年後、廃炉になったらこの原発はどこへいくのか?」「どこかに埋め立てられるが、ここではないことはたしか」「運転を止めてから冷えるまでどのくらいかかるのか?」「最低2〜3年は水で冷やし続けないと燃料棒の移動はできない。」との答え。東海村で廃炉になったものは、一般の業者に払い下げとなったとのこと。この巨大な放射能核廃棄粗大ゴミはいったいどこへもっていけばいいのか? 今、我々が電気料金として払っているお金のうち、原発分の3〜4割は未来の子供たちが20世紀のあとかたづけに使えるよう別につみたてて手をつけないというようなことを、すべきではないか。これはたとえ原発が止まったとしても、はるか未来までこんな贈り物を手渡す今の大人たちのせめてもの奉仕ではないか。さっき見学に入っていた子供たち、実杜や素也たちが20世紀の尻拭いをする世代になるかも知れない。今、そのことを本気で考えている大人が日本に何人いるのだろう? ウォークは原発の見える砂丘までつづく。雨の中トムさんたちのパイプセレモニー。原発のエントツ、そして排水口から流れ出す水。つりをする人々。砂丘と原発の間の森の中に神社があるという。そこにも祈りをささげる。地元の人が海の様子を見に、声をかけられたので、ウォークのことを話すと「それはごくろうさまです」と言っていた。今日1日参加した大鹿のカズさんは東海地震による原発災害を本気で心配している。もうあまり時間がないという。地震はさけられないとしても、原発を止めることはできるはず。地震によって原発がはね、大災害がおきるという恐れは原発推進・反対の立場をこえて共通するはずだという。

   
  相良ビーチより浜岡原発PR館に向かう。150号、レインボー、ピース・ドラゴンは行く。  

夜、地元で反原発をしている人々との交流会。新聞などでは発表されないが、地元では白血病や甲状腺ガンなどが他よりもはるかに高い率になっていて、若い人の間にもひろがっているとのこと。今日の雨もひょっとしたら原発からの放射能をふくんでいるかもしれない。でもここに365日住み続けている人にとっては、たった1日〜2日滞在した我々とは違い、日常なのだ。みんな心の中では不安があっても、さまざまな圧力によって声を出せない人々がほとんど。全国のみなさんの応援をおねがいしたいとのこと。重い課題をつきつけられた感じ。これだけでも浜岡に行ってよかった。(塩田永)



10月25日、雨の中。ピース・ウオークが浜岡原発にやってきた。北米インデイアン、トム・ダストウ氏の提唱により10月13日スタートした、東京から広島へ「平和の灯」を運ぶ行進である。

   
  PR館、広場で昼食後、無言のサークルを組む。  

55年前広島の街を焼き尽くした原爆の灯を、ずっと今日まで保ち続けていた人がいる。それを知って、その灯を各地に分燈して歩き、「平和の灯」としてよみがえらせている人がいる。そして広島原爆に使われたウランは、アメリカ・インデイアンの聖なる山から掘り出されたものだ。 そんな事実がつながり合い、分燈された「平和の灯」を携えて各地の人々の祈りを集め広島へ返す、このピース・ウオークが発案されたという。出発の前夜になって、「原発震災が心配される浜岡原発に立ち寄らなければ、この祈りを未来につなぐ意味がない!」と急遽コースを変更、受け入れの依頼が私たちのところに「降って湧いた」のだった。

24日夕刻、相良海岸にウオーク15名到着。そして長野県大鹿村からのウオーク5名も合流。車で合流した人も含めて総勢40名。サークルをつくってインデイアン流のセレモニー。夜は宿泊地で、「大鹿村中央構造線博物館」の河本氏による「東海地震と浜岡原発」の学習会。浜岡原発へ向けて歩くことの意味を知り、参加者たちの緊張感が高まるのがわかる。 25日朝9時、同じ海岸を出発。道中降り出した雨は、原発に近づくにつれさらに激しくなる。セレモニーは浜岡砂丘の東端、海側から原発の全容が目の前に迫る場所。サークルをつくり、聖なるパイプのタバコをまわすスペシャル・セレモニーを行う。 トム・ダストウさんが語る。「母なる地球は私たちを愛して下さっている。何の見返りも期待することなく。」「(左手の海を示して)私たちには、豊かな自然の恵みの中で生きる道と、(右手の原発を示して)機械文明の中で生きる道とがある。が、私はためらうことなく前者の道を選ぶことができる。なぜなら、私はこの聖なるパイプ以外、 何ひとつ持ち合わせてはいないからだ。」

ピース・ウオークはこの日、浜岡原発をあとにして大東町営風力発電所に到着した。今日も「平和の灯」を携え、広島をめざして歩き続けているはずだ。(鈴木てつや)


   
  相良ビーチ。母なる大地、母なる海にてセレモニー。トムの言葉、みんなの心にひびく。地元の大勢の人々の参加、心強く、責任重し。足は軽やかに。  




「浜岡原子力発電所のセレモニー」 前日、大鹿村からの天竜川下りのブランチウォークと合流し喜びのはじける一夜を共有してより一段と「ひとつ」になったウォーク隊。

今日は、いよいよ浜岡に集まるセレモニーの日。雨模様の天の下、原発の正面ゲート に向かううちに合流者は次々に増え60名を超える。警備員の方々も当初は不安一杯の表情。ウォーク隊の進行を立ちふさぐ形での問答となったが、広報施設である「資 料館見学者としてならどうぞ」の言葉を受ける形でフラッグを降ろして淡々と中へ。

最後には『雨だし、良かったら資料館ロビーで昼食をとってもらってもいいですよ。』 の言葉も。大きな屋根の下でサークルを組んで無言のお祈りをし、キッチン班の用意してくれたランチをとる。家族連れや小さな子供達の走り回るなごやかなランチタイ ム。私には、19日にウォーク隊を離れてからの久しぶりの合流。持参したお弁当を食べながら再開の挨拶を交わしているうちに、あっという間に時間が過ぎる。食べ終 えて再びサークルを組み、『ありがとうございましたぁ!』と口々に丁重な挨拶をしながら施設を離れ、海辺のセレモニー場所へ。

昼食時に集まって我々の動向を見ていた施設の方々は、なんとなく拍子抜けした面持 ちで我々を見送る格好になる。海辺の丘の上は陸地にそびえる原発施設と伸びやかにどこまでも広がる海岸線を左右に見渡せる場所。サークルを組んでトムがパイプを使 い心をこめてセレモニーを行ってくれた。各々が、声に出さない祈りをこめて響きあう静かな時間。

終わってから、昨日は広島の平和公園の「火」の前で祈り、我々の運んでゆく『原爆 の残り火』をその地のスピリットが、待ってくれていると感じた自分の感想を率直に伝えた。


   
  浜岡原発を望む砂丘より。小雨の中、後方のエントツ、不気味。なぜか異臭ただよう。近くの工場からか、すてられたゴミなのか。  

相良の『老人いこいの家』の夕食後、カズさんやトムのレクチャー&交流会。 米国での原子力発電を取り巻く情況−幅広い層の廃止活動により、今後、原子力発電そのものの廃止へ−をトムが、語ってくれた。

欧米と日本との原子力発電の公開情報と一般認識についてトムは「この対比をどんど ん伝えることから日本でも原子力発電環境を変えることもできる」とコメント。

それぞれが戦いではなく、自分の確信に正面から向かってゆくことができることで、 未来を守る地球を創造することができる−とはトムの弁。 それぞれの質問へのトムの答えもまた、深いものがありました。参加して下さった全ての人に感謝します。 (さくら)




ピースウオークの25日(白い銀河の犬の日)浜岡セレモニーに参加して来た、かもです。

朝9:30分頃に相良の老人憩いの家より近くの砂浜で、お祈りの輪をつくり、出発のセレモニーです。平和の火を4つに分けて、希望者にカイロの様に身に付けて、運んでもらいます。砂浜を通って国道に出、そこから浜岡まで約10KM位?(結構遠かったです・・・)ウオークの人は、人数が多くて誰が本隊なのか、サポートなのか解らなかったのですが、地球村の人も含めて、37・8人でした。少しづつ降り出した雨でしたが、祈りの唄を歌いながら、太鼓や、途中から参加の間瀬さんの横笛と、楽しく歩きました。1:00頃に原子力館に着き、てつやさんが話しをしてくれて、(旗や太鼓は鳴らさない様にとの事で)屋根付きのホールの所で昼食が出来ました。パンも沢山ありましたが、よく売れていました。(^^)そこから移動して、砂丘に出て、回復してきた空の下、40数人の輪で平和の祈りのセレモニーです。砂丘と原発の間にある神社に向かって、祝詞を上げられたサポートの島田の男の方・・?も居ました。


   
  ハルとトム。 お茶、飲みながら。  

そして、大東町の風車へ。風車までの一行はそこからあと2時間余りのウオークです。再び相良の憩いの家にもどり、夕食、お風呂、そして交流会。静岡で4年前に結成された”浜岡原発を考える静岡ネットワーク”略”浜ネット”のてつやさん、(憩いの家泊の力添えをして下さった)長野さん、塚本さん、間瀬さん、(実は、3年半前よりカクレ浜ネットになった私めは)久々にみなさんにお会いできました。(^^;)てつやさん、塚本さん、(今日は来られていないのですが)清水の寺田さんは別の会を名乗って、あの福島 瑞穂さんのサポートで、1ヶ月に一度国会で、議員さん達に「地震と浜岡原発」の話しをしに行かれているとの事、反応してくれる議員さんもあるようです。とにかく地震が来る前に、原発を止めてもらいたいとの想いで、行動されているようです。すごいパワーの持ち主です。24日の夜には”東海地震と浜岡原発”の勉強会をされたようです。25日の夜の交流会では地元浜岡の”原発問題を考える会”の人達も5人ほど来られて、話されました。いろいろな想いを持った人達、グループの人達が、一つの輪になれた(結んだ)一時でした。 (かも)

   
  トム、鈴木のテツ、ボブ。  
 
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